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あの輝度

彼は自己の自由と主体性を決して失わない。
誘惑されその誘惑に身を委(まか)せることは自分の自由を失うことになるので、めったに他からの快楽への誘いの声を聞くことはない。
なにかに依存することを厳しく退ける。
モノであれ、人物であれ、何かによって自分の自由が束縛されることを嫌う。

彼は誘惑する。
他人に物理的な力を与え、コントロールする。

誘って共犯者を増やす。
それが彼の社会化だ。
彼の生きている現実の社会はそれを許さず、彼は糾弾され、捕獲された。

彼は自分に対する懲罰も他人事のように観察した。
そこから快感を得ることもできた。
肉体が閉じ込められても、彼の精神は空を自由にはばたいていた。

その間中、彼の後ろにはいつも支え手が存在していた。

彼が罪を問われ、遠くはなれた場所に監禁されてから、彼の支え手は具体的なモノによって裏づけすることはできなかったので、その支えは両者間に通う信頼感が基礎となっていた。

彼の問題行動を自分の(愛の)力で変えることが自分の幸せになると思っている支え手を必要としなくなったとき、彼が何にも依存せず、相互の関係から自然に導き出されるやり方で双方の問題を解決できる能力を持ったとき、彼は本当に自由になれるのだろう。
そして、その時、彼を含まない世界から、彼は魅力的に見えるのかもしれない。

実際はそのようには進まず、彼を幽閉した彼と同じ性向の持ち主は彼から強制的にその支え手を引き離したのだった。

彼は絶望のうちに死んだ。
彼が自分の小さな部屋に残した何百枚にも渡る手稿は焼かれ、灰になり、空中に消えた。



引用;サド伝,遠藤周作文学全集第11巻,新潮社,2000.3.10.
資本主義と自由,ミルトン・フリードマン,村井章子訳,日経BP社,2008.4.21.
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